モニターの入力をMac miniに切り替え、トラックパッドとキーボードを前に置き、ロックを解除すれば、すぐに直前まで書いていた画面が開かれる。
それはメモアプリだったりObsidianだったり、それかChatGPT Atlasだったりするが、それは全て書くための環境。
朝に少し原稿を進めていて、夜にまたひらけば、朝の自分がまだそこにいて、朝の自分からバトンを受け取ることができる。
これを他の作業も並行して行うPCだったなら、なかなかそうはならない。エディタなどは開いたままにできるかもしれないけど、ブラウザは他の作業で散らかり、デスクトップの配置もその時々で変わってしまう。
この環境のためにMacを一台増やすというのは贅沢な使い方なのかもしれないけど、自分のように部屋もデスクトップもブラウザのタブも、やたらと散らかってしまうような人間には、こういうパワープレイもときには必要なのかもしれない。
今日は文章を書いている中で、少し関連することがあって、モネについて調べた。去年の冬の初め頃に京都市京セラ美術館で開催されていたモネ展の図録を開き、そこに書かれている文章からモネがどのように視ていたのかについてなどを探したりした。
図録をめくっていると、もちろん絵画も目に入ってくる。個人的には、睡蓮を描き始めるより前の時代の絵がけっこう好き。「印象・日の出」や、「日傘をさす女性」など。あと「ジヴェルニー近くのセーヌ川支流、日の出」のグラデーションもかなり好み。テムズ川関連の作品の、モヤのかかった感じもいい。
近々東京に行く予定もできたので、アーティゾン美術館で開かれているモネ展も見に行きたいと思っている。
ある批評家の言葉を置いておきたい。
「ほかの画家たちは空間の中で描くが、彼[モネ]は時間の中で描く」と、ある批評家は書いている -モネ 睡蓮のとき 図録 p55

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